独り言

俺にはあまり向上心が無い。

「こうありたい」とか、「ああなりたい」とかが希薄だ。

俺だって、人から多く承認されたりしたい気持ちはある。だがそのために努力したり働きかけるのは、ひどく億劫だ。そこに割くリソースがだめなのか、その後強いられる努力が面倒なのか。

そう、俺はひどく面倒なのだった。

社会生活においてコミュニケーションは好きだ。人とのコミュニケーションで、心通わせる瞬間は、何者にも代えがたい幸福だ。そこに面倒な気持ちは無い。この点一点のみで、俺はここまで来たって自負すらある。

でもその他はだいたい面倒だ。勉強だって、なんだって。一人でやる運動は好きだけど。自分痛めつけてる感覚がなかなか乙だからだ。

未来がどうだとか、あまり考えたくない。成長してる自分が見えない。見たくはあるけど。

なるようになるってだらけた思考で逃げてる俺は、どこで行き詰まるんだろうか。もう20代も後半戦の俺は、これからどこに向かうのか。

意志薄弱だったもっと若い頃

h3で見出しをつけてみたりして。

俺は今でも意志薄弱な自覚があるが、もっと昔はさらに意志薄弱だったと思う。なぜあんなに何も考えないで生きてたのか。

なんか今思うと、考えが「詰まってた」感じがするんだな。詰まってるから流れない。今はもうちょっと流れが淀みない実感がある。

 そのきっかけは色々あると思うけど、そのおかげで今なんとかやってる。

 

なんだか疲れてきた。

物事がうまくいかない実感があるなら、自分の行動とか思考をせき止めてるものを見つけて、それを取っ払う努力を、してくれよな。

俺の中であんまり夏と映画は融和しない

今週のお題「映画の夏」

「映画の夏」って言うほど、俺の中であんまり夏と映画が結びつかない。

なんでかなーと思っていくつか理由を考えてみた。

1.夏休み映画がつまらない

ブロックバスター映画なんて言ったりするが、夏休み公開の映画ってのは金がかかってるものだ。

CGをふんだんに使って、脚本も万人にわかりやすく、キャストも金をかける。

そんな映画はえてして俺にとってつまんないもんだ。じゃあ行くなよって言いたくなるが、うーんそんなのばっかりやってるし、金がかかってる映画を見たい気持ちもある。

映画が面白いのは、アカデミー賞発表前後とか、なんかわかんないけど年末のイメージだ。夏はなんか…。

2.夏をテーマにした映画が好みじゃない

個人的な趣味もあるかもしれなかった。「夏!」って映画はなんかあんまり俺の中で印象が強くない。あんまり思い浮かばない。細田守大好きだけど、「サマーウォーズ」はそうでもない。バケモノの子は結構好きだが…

なんか、「そこのみにて光り輝く」で暑そうな部屋の中でセックスしてたのとかしか思いつかない。

冬の方が物語性あるのかもね。雪の映画の方が多そう…

3.夏は映画館いかない

別にほかのスポットでキャッキャキャッキャするわけじゃないけど、映画館行くのさえ億劫になってるのかも。

寒さから逃げるために映画館行くような気はするのに。不思議。


今回あんまり書けなかった。ゴジラまだ見てないしな。

ゴジラ見て、またなんか言いたくなったら書きます。

アイ・アム・サムを見た俺の感想

アイ・アム・サム」という映画。俺が小学生だか中学生なりたてだかの時日本公開された映画で、ショーン・ペンの演技で話題になったこともあって覚えてる。

そこから10年以上見る機会に恵まれなかった。

でも、とあるすごく親しかった人の生涯ナンバーワン映画と聞いていた。見なきゃなと思ったきり、その時は見なかった。理由はわからない。すすめられた映画はすぐに見る俺にしては珍しい。

その後、別の人と親しくなった。その人の好きな映画もアイ・アム・サムだった。今度こそ見ようと思った。今見る運命なのかなと思った。

 

で、見た。

あらすじ


映画「アイ・アム・サム」日本版劇場予告1

知的障害のために7歳の知能しか持たない父親サムは、スターバックスで働きながら一人で愛娘ルーシーを育てていた。母親はルーシーを生むとすぐに姿を消してしまったが、二人は理解ある人々に囲まれ幸せに暮らしている。しかし、ルーシーが7歳になる頃にはその知能は父親を超えようとしていた。そんなある日、サムは家庭訪問に来たソーシャルワーカーによって養育能力なしと判断され、ルーシーを奪われてしまう。どうしてもルーシーを取り戻したいサムは、敏腕で知られる女性弁護士リタのもとを訪ねるが、サムにリタを雇うお金などあるわけもなくあっさり断られてしまう……。

すごくいい映画だと思った。それは間違いない。ショーン・ペンの演技は怪演って言っていいレベルだし、ダコタ・ファニングはかわいい。細部まで行き届いた監督と脚本の熱意も感じる。

俺は嫌いな映画だった

でもはっきり言って、俺は嫌いな映画だった。

なんでかって言うと、俺がアイ・アム・サムに感じた感想が、俺の映画に求めるものから反れてるからだ。

改めてわかったのは、俺は映画を現実逃避するための道具とか、トリップするためのツールとして見てたってこと。

アイ・アム・サムに感じたのは、結局現実の生き辛さだけだった。

みんなはどうなのか知らないけど俺は自分の視点を、主人公のサムに重ねていた。サムが感じてたのは、ひたすら自分の意見が通じないもどかしさと、周りの人の言葉が理解できない息苦しさ。こんなの俺じゃなくても感じてることじゃないのか。

サムは周りに愛されながら、周囲の助けを得つつ、最終的に目的を果たす。

一見完璧によく出来た話だ。

生き辛さを再確認するために映画を見てるわけじゃない

この映画から何を得られた人が、この映画を好きになるのだろう。こんど聞いてみようと思う。

俺は映画を見て、「ああ、なんとかすれば、この世でもやっていく術があるのだな」って思いたいのだった。「なんとか健気に前向きにがんばれば、他人が足りない能力を補填してくれるよ」ではない。

そんなのあまりにも救いが無い。どうすればもってない奴でもこの世を渡っていけるかが知りたいのだ。他人の助けをアテに生きるわけにもいかない。

アイ・アム・サムはいい映画

とってつけたみたいに言うけど、結局この映画はいい映画だと思った。

基本どんな映画でも「楽しい」で処理できる俺をこんな気分にさせるんだから、待ちがいなくフックのある映画なんだと思う。見る価値もあると思う。

好き嫌いにはその人の人間性が色濃く出る。映画でもなんでも。人でも。

俺が基本的に救いのない映画が好きなのも、「ああこの世はやっぱり救いがないな」って思ってニンマリするからかもしれないし。

自分を知るには映画をみればいい。

夢が無いから挫折もないけど、人生それなりに色々ある

Netflix火花お題「夢と挫折」


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ついでだからこっちのテーマも書いとこうと思う。

とはいえ「夢と挫折」で語れるほどの経験も蓄積も俺にはない。 途中で諦めて挫折するほどの夢を持つ度量はなかった。また、それほどの熱量をぶつけるほどの対象も見つけられなかった。

夢を持つのは怖い

夢ってこわい。

なぜなら夢を一度持ったら最後、その夢をかなえるための努力を強いられるからだ。 しかもその夢がかなう保証はどこにもないし、誰も保証してくれない。

ひたすらがんばるしかないし、途中でダメだったらそこまでの歩みは、無駄とまでは言わないけどかなりの損失になる。もっと別のことができたはずだから。

人間が努力でどうしようもないことの一つに「過去」がある。 もう一つは「他人の心」。

時間を、保証もなにもない寄る辺ない未来のためにかける情熱を、俺はもちあわせてなかった。それは果たして幸せなことか。それとも恵まれなかった不幸なのか。

きっとどっちでもないんだと思う。

「夢別名呪いで 胸が痛くて」

夢は呪いだって言うセリフは、もともと仮面ライダー555のものらしい。 それがRHYMESTERの歌詞になって俺は知ったが、たしかにそうだと思う。

一度夢を持っちゃったら最後、呪われたみたいに未来が縛られる。 この呪いに苦しみながら努力できる人を、俺は尊敬する。

挫折

夢と切り離して、挫折単体で考えてみるとどうだろう。 どこまで落ち込んだ段階が挫折なんだろう。 辞書にはこうある。

名](スル)仕事や計画などが、中途で失敗しだめになること。また、そのために意欲・気力をなくすこと。「資金不足で事業が―する」「―感」

俺みたいに会社勤めだと、ある程度の失敗は会社が保証してくれる。

サラリーマンの給料は、その人があげる儲けの3分の1程度だそうだ。その3分の2を持って、失敗を保証してくれるのだ。 つまり普通に暮らしてる限り、特に俺なんか特に一人で何事もこなしてないやつなんかは、「挫折」の機会すらないということだ。

ああ改めて考えて、なんて「夢と挫折」から遠い暮らしなんだろうと書きながら思った。

夢も挫折もないと人生は不満足か?

夢も挫折もない人生は、両方持ち合わせてる人生から見ると確かに物足りないかもしれない。

のうのうと生きてる様は、きっとかわいそうにすら見えるかもしれない。

でもそんなことはない。 夢と挫折で苦しむ人生を対岸で見ながら、それとは別の苦しみと喜びにあえいで生きるのは、問題なく楽しい。

俺は、どんな人生も通じてそれなりに楽しくて、それに見合った苦しみがあるものだと思ってる。ひどく暗い時期があったとしても、その向こうには霧が晴れたような満ち足りた生活があると信じてる。

もちろん人生に波風を望まないと何も起こらないとも思うけど。

俺の大好きな舞城王太郎の小説にはこうあった。

意志が大事なのだ。この世の根本原理は何をしたいかをはっきりさせ、強く思うことなんだ。人は大勢いる。それぞれの人間に意志がある。強い方の意思が運命を引き寄せる。意志と運命が揃えば出来事は起こる。つまり願いは叶う。

まず意志ありきなんだ。夢もきっとそう。

ポケモンGOをやってる場合じゃない Netflixで「火花」をみよう

久々にお題ではてなブログ書きます。

火花の感想って言っても俺、3話くらいしか見てないんだけど。 俺の最初の感想としては、「思ったより高級感があるな」って思った。 俺てっきり山下敦弘の映画みたいな、だらだらモラトリアム消化ものみたいにするの想像してたから。 だから変に肩透かしくらった。でもよく考えたら、火花の実写化としては、これで良いのかなともだんだん思ってきた。3話しか見てないけど。


火花って純文学だった

そうなんだった。火花って、芥川賞受賞した、れっきとした純文学なのだった。 やってることは売れない芸人の珍道中でも、描写は高級であるべきなのだった。

風景描写も、心情描写も、これで正解なのかもしれないなーと思ったところで3話まで見た。これからももしかしたら見るかもしれない。 でも最初に感じた違和感を拭えずにもう二度とみないのかもしれない。

だとしてもそれは縁がなかったってことだ。 金かけてるかはともかく、キャスト凝ってるし、手間をかけてるのは伝わる、いいドラマだと思う。


何者にもなれない苦しみ

その後の展開知ってるけど、途中までの火花って映像化すると割と陳腐な話になるのかなと思った。

やっぱり視覚化されると一気に面白みが無くなるものってある。 でもやっぱりどんな形でも、「何者でもない自分」に苦しんでる人間を見るのは楽しい。 これってきっと、安い共感を感じるからだ。

もがいて、どうすればいいのかわからなくて、他人と自分を比べて、ちょっと下の人見て安心したりして、たまに偉そうにしたりして、モラトリアムにいる心地よさ感じたりして、結局自己嫌悪から抜け出せない。 そんなふうにもがいてる若者見るのは、楽しい。

まさに山下敦弘もらとりあむタマ子って映画を思い出した。


映画『もらとりあむタマ子』予告編

モラトリアムの中でもがくのは、後の人生どころか、近々の生活の中で、特に会話で活きてくると思うけどどうだろう。

芸人って大変だなって思った

「笑い」を追求って大変だなって思った。

だって明確なゴールがない。 人を瞬間的に笑わせるのって芸人のゴールじゃない。きっと芸人は生活の中に入り込むような笑いが欲しいはずだ。

科学的に「笑い」は解明できていない。 最近読んだ本で、笑いは「思考の限界に突き当たった時起こる」と書いてあった。 考え至らないことを言われた時、思考の先の出来事を見た時、人は笑ってしまうということだった。

なるほどそうかもしれない。俺はホラー映画が好きだが、怖いシーンでよく笑ってしまうのはこういうことだろう。

ホラー映画か怪しいが、最近みた「クリーピー」で隣の娘が「あの人お父さんじゃない」って言う例のシーンでも笑ってしまった。怖い。不気味すぎる。笑うしかない。

つまり芸人は、いかに人の考え至らないところに至るか。 テレビ見てる人なりと知能勝負をしてるわけだ。今の視聴者は目が肥えており、簡単なところでは考えが先回りして思考の果てには至らない。だからすぐ「つまらない」という。 芸人は、特に漫才師は、少ない道具で考えの先を行こうとする難しい商売だ。

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がんばれ芸人、とかその他表現者

あまねく人は表現活動をしながら生きてると思うけど、芸人はその際たるものかもしれない。

「笑い」のために無駄を削いで、自分を切り売りして。

生きるってことはそもそも表現するってことだ。とか言うと安っぽくなりますね。でも 映画見て「あの映画おもしろかったね」って言うのだってれっきとした、自分にしかできない表現活動だ。

だから面白いんだと思う。なんか色々。 終わり

Netflix火花お題「ドラマ火花の感想」

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星野源についておさらい

この間さいたまスーパーアリーナ星野源さんのアルバム発売に合わせて開かれたツアーライブに参戦したこのタイミングで、星野源への気持ちを綴ってみたいと思います。

ウイスキー片手に。


出会い

星野源との出会い…いつだったでしょうか。

しっかりはっきり意識したのは実は最近で、彼が「地獄でなぜ悪い」に出演した時なんですけど、存在はそれ以前も知ってはいました。

地獄でなぜ悪いを監督したのは僕の好きな園子温。 そこから掘っていって、星野源さんに興味を抱きました。星野源と園監督が二人で出ていたTOKYO MXの番組を見たのをよく覚えています。

そしてすぐたどりつく、星野源くも膜下出血で倒れたエピソード。

星野源くも膜下出血で倒れた時とそれほど遠くない時期、僕も交通事故にあい、かなり命が危ないところまでいきました。 嫌になるくらいに、彼が入院中感じた想いに共感しました。

でも彼は僕よりもっと、前を向いて、上を向いて生きていた。 そんな彼をここではっきりと、尊敬し始めたのを感じました。

この共感。

星野源の中での大きなファクターのように感じています。


地獄でなぜ悪い

俺のオールタイムベストソングです。 映画とかその時読んだ園さんのエッセイの情報とか、こないだのライブの一曲目がこれだったとか色んな情報が混じってのベストだけど、芸術ってそういうものだよね。


映画『地獄でなぜ悪い』予告編

これがなかったら、今の俺はなかったってくらいに大切な映画で、大切な曲。

歌詞のひとつひとつに、彼が病院で感じた苦悩が表れている。

あ、ちなみに彼は今この映画で共演した二階堂ふみさんと付き合ってます。

閑話休題

この世はもとより地獄で、逃げようってすることが本末転倒なんだって教えてくれた歌。

この世はつくりもので、うそばっかで、ひたすら地獄。

でもその中でがんばる人だけが、悲しい記憶に勝つ。

 ニコニコ笑いながらこれを歌う星野源に助けられた人は自分だけじゃないはず。

この世界が地獄だって分かってる人が多いからこそ、この人は今の世の中で人気者なんだと思う。

 

今この時だからこそ、紅白に出るくらい人気が出たんだ。星野源は。


文章

彼は俳優であり、一流の歌手でもありながら、文筆家の一面も持っています。

僕は文章にこそその人の人となりすべてが出ると思っていますが、星野源さんの文章はとっても星野源っぽい。

サービス精神まんてんで、明らかに受けを狙いに来てる。

それでいてあちこちに優しさが散りばめられてる。

彼の文章を読むと、彼の声が聞こえてくるみたい。

 

とても表現力豊かとはいえないけど、確かに素晴らしい文章を書く人だと思います。

とても真似できない。

だってあれは、星野源の書く文章だから。


曲について

僕は音楽については素人ですが、彼の本質はここにあると思ってる。

俳優業も文筆業も、この派生。

一本の星野源っていう幹。

これは音楽だと思う。

彼が思い描いた、考えた、感じた気持ち。

それを一番自然とアウトプットできるのが、音楽なんだと思う。

全然テクニックの話ができないけど、彼が世界各国の音楽からインスパイアされて曲を作ってるのはわかる。

だからいろんな人に刺さるんじゃないかな。

好きな曲はたくさんあるけど、最近一番はまってるのは「くだらないの中に」。

共感を呼び覚ますフレーズと声と、それに歌詞。

まさに星野源の作る曲って感じ。


まとめ

まとまりのない記事になってしまった。

でも星野源の人物像も、良くも悪くもまとまりがないよね。なーんて。

彼が迷いながら苦しみながら、地獄の最中で苦しみながら作る文章も音楽も、演技する役柄も僕は大好きです。

それはそこに、現実で苦しんでいる自分を見るからかも。

そしてそれでいてあっけらかんと明るい彼を見て、見習おうとしているのかも。

なんにせよ一挙一動が見逃せない、星野源なのでした。

マッドマックスで気付きと快感を得よう

マッドマックス怒りのデスロードが面白かったので、久しぶりにほろ酔いでブログを書きます。


映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』予告編 - YouTube

結論から言うと、まあ最高の映画だったんですけど、もっとこう映画ってこうだよなあとか考えました。

僕なんか「趣味は?」とか「休みの日暇なとき何してんの?」とか聞かれたらとりあえず「映画見てる」って当たり障りのないこと言うんですけど、まあこれも嘘じゃないにしても、もっといろいろ、例えば今なら日本語ラップ、とりわけ最近はデブラージ死んだのきっかけにブッダブランドばっか聞いてたり、女流作家の小説読むの好きだったりするんですけど、やっぱこういう時は当たり障りなく映画って言いますな。

ショーシャンクとかアベンジャーズとかの当たり障りないところから、アニメとかマニアックな邦画とか広げようがあるからね。

僕は前々から趣味ってのはそもそもそれを見たり聴いたりやったり触ったりすることで脳が快感を覚えて、その快感の回路が一番自分に適してると思うやり方、自分が一番手っ取り早く気持ちよくなれるやり方こそ自分の決める趣味だと思ってるんですが、この中で映画を趣味にするってのはつまり、映画館のスクリーンなりテレビなりモニターなりで物語のある映像を見てそれで感動するのが一番気持ちいいって表明で。

でもこの映画ってのは幅広くて、中には男と女が終始イチャイチャしてたり、殺人鬼を警察が追っかけたり、いもしないスーパーヒーローが地球を救ってみたりします。

それぞれにファンが居て、でもみんな共通して「映画好き」。

映画の中にも快感に至る道筋が違うってことですね。

ああ、わかりやすいたとえだと感動モノね。「ドラ泣き」なんてのが記憶にあたらしいもので、人は感動して涙をながすとき無条件に気持ちよくなるように出来てます。泣きに映画館に行くなんてポルノ映画見にピンクの映画館行くのと全然変わりませんよね。「泣く」の目当てに映画館に行くなんて下品極まりないですよ。

話題がそれましたが、とにかくまとめると、僕は映画見てそのことで快感を得たいわけです。なるべく泣くの目当てとかじゃない上品なやり方で。泣くならさり気なく泣きたい。

 

で、マッドマックスはそれらの僕の願いを叶えてくれたように思います。

内容の詳細は誰か他の人に聞いてください。今日これから宇多丸が評論するみたいだし。

 

マッドマックスみて僕はとにかくこれが欲しいんだと思った。

現実に生きてたらどう頑張ってもお目にかかれない光景。「いや、それおかしいだろ」の「い」すら聞く気の無いわがままな映像群。謎の爽快感あるストーリー。愛着わいたキャラのカッコいい散り際。変なハッピーエンド。ヒュー!祭りだ!

 

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いやもっと真面目な、練られた脚本と凝った演出の映画ももちろん快感です。最後のどんでん返しはアハ体験的衝撃で大変よろしい。

でも、それでもこの監督を初めスタッフのわがままに完全に観客がついてくしかない種類の映画が好き。映画以外もそうなんですけど、天才の才能に置いてかれないように付いて行きたい。観客なり読者なりを意識した作品はどうしても底が浅い。連れてって欲しいんだなあと今わかりました。つまんない日常に生きてる僕を、ここじゃないとこかに。トリップしたいんです。

マッドマックスはそれをしてくれる、すっごく素敵な映画でした。

見てる2時間くらいの間、間違いなく僕は映画館には居なかった。

かといって映画の中に入り込んでたかっていうとそうじゃなくて、その中間くらいで楽しんでたんじゃないかな。この距離感が良い気がする。

疲れたから終わり