夢が無いから挫折もないけど、人生それなりに色々ある

Netflix火花お題「夢と挫折」


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ついでだからこっちのテーマも書いとこうと思う。

とはいえ「夢と挫折」で語れるほどの経験も蓄積も俺にはない。 途中で諦めて挫折するほどの夢を持つ度量はなかった。また、それほどの熱量をぶつけるほどの対象も見つけられなかった。

夢を持つのは怖い

夢ってこわい。

なぜなら夢を一度持ったら最後、その夢をかなえるための努力を強いられるからだ。 しかもその夢がかなう保証はどこにもないし、誰も保証してくれない。

ひたすらがんばるしかないし、途中でダメだったらそこまでの歩みは、無駄とまでは言わないけどかなりの損失になる。もっと別のことができたはずだから。

人間が努力でどうしようもないことの一つに「過去」がある。 もう一つは「他人の心」。

時間を、保証もなにもない寄る辺ない未来のためにかける情熱を、俺はもちあわせてなかった。それは果たして幸せなことか。それとも恵まれなかった不幸なのか。

きっとどっちでもないんだと思う。

「夢別名呪いで 胸が痛くて」

夢は呪いだって言うセリフは、もともと仮面ライダー555のものらしい。 それがRHYMESTERの歌詞になって俺は知ったが、たしかにそうだと思う。

一度夢を持っちゃったら最後、呪われたみたいに未来が縛られる。 この呪いに苦しみながら努力できる人を、俺は尊敬する。

挫折

夢と切り離して、挫折単体で考えてみるとどうだろう。 どこまで落ち込んだ段階が挫折なんだろう。 辞書にはこうある。

名](スル)仕事や計画などが、中途で失敗しだめになること。また、そのために意欲・気力をなくすこと。「資金不足で事業が―する」「―感」

俺みたいに会社勤めだと、ある程度の失敗は会社が保証してくれる。

サラリーマンの給料は、その人があげる儲けの3分の1程度だそうだ。その3分の2を持って、失敗を保証してくれるのだ。 つまり普通に暮らしてる限り、特に俺なんか特に一人で何事もこなしてないやつなんかは、「挫折」の機会すらないということだ。

ああ改めて考えて、なんて「夢と挫折」から遠い暮らしなんだろうと書きながら思った。

夢も挫折もないと人生は不満足か?

夢も挫折もない人生は、両方持ち合わせてる人生から見ると確かに物足りないかもしれない。

のうのうと生きてる様は、きっとかわいそうにすら見えるかもしれない。

でもそんなことはない。 夢と挫折で苦しむ人生を対岸で見ながら、それとは別の苦しみと喜びにあえいで生きるのは、問題なく楽しい。

俺は、どんな人生も通じてそれなりに楽しくて、それに見合った苦しみがあるものだと思ってる。ひどく暗い時期があったとしても、その向こうには霧が晴れたような満ち足りた生活があると信じてる。

もちろん人生に波風を望まないと何も起こらないとも思うけど。

俺の大好きな舞城王太郎の小説にはこうあった。

意志が大事なのだ。この世の根本原理は何をしたいかをはっきりさせ、強く思うことなんだ。人は大勢いる。それぞれの人間に意志がある。強い方の意思が運命を引き寄せる。意志と運命が揃えば出来事は起こる。つまり願いは叶う。

まず意志ありきなんだ。夢もきっとそう。

ポケモンGOをやってる場合じゃない Netflixで「火花」をみよう

久々にお題ではてなブログ書きます。

火花の感想って言っても俺、3話くらいしか見てないんだけど。 俺の最初の感想としては、「思ったより高級感があるな」って思った。 俺てっきり山下敦弘の映画みたいな、だらだらモラトリアム消化ものみたいにするの想像してたから。 だから変に肩透かしくらった。でもよく考えたら、火花の実写化としては、これで良いのかなともだんだん思ってきた。3話しか見てないけど。


火花って純文学だった

そうなんだった。火花って、芥川賞受賞した、れっきとした純文学なのだった。 やってることは売れない芸人の珍道中でも、描写は高級であるべきなのだった。

風景描写も、心情描写も、これで正解なのかもしれないなーと思ったところで3話まで見た。これからももしかしたら見るかもしれない。 でも最初に感じた違和感を拭えずにもう二度とみないのかもしれない。

だとしてもそれは縁がなかったってことだ。 金かけてるかはともかく、キャスト凝ってるし、手間をかけてるのは伝わる、いいドラマだと思う。


何者にもなれない苦しみ

その後の展開知ってるけど、途中までの火花って映像化すると割と陳腐な話になるのかなと思った。

やっぱり視覚化されると一気に面白みが無くなるものってある。 でもやっぱりどんな形でも、「何者でもない自分」に苦しんでる人間を見るのは楽しい。 これってきっと、安い共感を感じるからだ。

もがいて、どうすればいいのかわからなくて、他人と自分を比べて、ちょっと下の人見て安心したりして、たまに偉そうにしたりして、モラトリアムにいる心地よさ感じたりして、結局自己嫌悪から抜け出せない。 そんなふうにもがいてる若者見るのは、楽しい。

まさに山下敦弘もらとりあむタマ子って映画を思い出した。


映画『もらとりあむタマ子』予告編

モラトリアムの中でもがくのは、後の人生どころか、近々の生活の中で、特に会話で活きてくると思うけどどうだろう。

芸人って大変だなって思った

「笑い」を追求って大変だなって思った。

だって明確なゴールがない。 人を瞬間的に笑わせるのって芸人のゴールじゃない。きっと芸人は生活の中に入り込むような笑いが欲しいはずだ。

科学的に「笑い」は解明できていない。 最近読んだ本で、笑いは「思考の限界に突き当たった時起こる」と書いてあった。 考え至らないことを言われた時、思考の先の出来事を見た時、人は笑ってしまうということだった。

なるほどそうかもしれない。俺はホラー映画が好きだが、怖いシーンでよく笑ってしまうのはこういうことだろう。

ホラー映画か怪しいが、最近みた「クリーピー」で隣の娘が「あの人お父さんじゃない」って言う例のシーンでも笑ってしまった。怖い。不気味すぎる。笑うしかない。

つまり芸人は、いかに人の考え至らないところに至るか。 テレビ見てる人なりと知能勝負をしてるわけだ。今の視聴者は目が肥えており、簡単なところでは考えが先回りして思考の果てには至らない。だからすぐ「つまらない」という。 芸人は、特に漫才師は、少ない道具で考えの先を行こうとする難しい商売だ。

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がんばれ芸人、とかその他表現者

あまねく人は表現活動をしながら生きてると思うけど、芸人はその際たるものかもしれない。

「笑い」のために無駄を削いで、自分を切り売りして。

生きるってことはそもそも表現するってことだ。とか言うと安っぽくなりますね。でも 映画見て「あの映画おもしろかったね」って言うのだってれっきとした、自分にしかできない表現活動だ。

だから面白いんだと思う。なんか色々。 終わり

Netflix火花お題「ドラマ火花の感想」

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星野源についておさらい

この間さいたまスーパーアリーナ星野源さんのアルバム発売に合わせて開かれたツアーライブに参戦したこのタイミングで、星野源への気持ちを綴ってみたいと思います。

ウイスキー片手に。


出会い

星野源との出会い…いつだったでしょうか。

しっかりはっきり意識したのは実は最近で、彼が「地獄でなぜ悪い」に出演した時なんですけど、存在はそれ以前も知ってはいました。

地獄でなぜ悪いを監督したのは僕の好きな園子温。 そこから掘っていって、星野源さんに興味を抱きました。星野源と園監督が二人で出ていたTOKYO MXの番組を見たのをよく覚えています。

そしてすぐたどりつく、星野源くも膜下出血で倒れたエピソード。

星野源くも膜下出血で倒れた時とそれほど遠くない時期、僕も交通事故にあい、かなり命が危ないところまでいきました。 嫌になるくらいに、彼が入院中感じた想いに共感しました。

でも彼は僕よりもっと、前を向いて、上を向いて生きていた。 そんな彼をここではっきりと、尊敬し始めたのを感じました。

この共感。

星野源の中での大きなファクターのように感じています。


地獄でなぜ悪い

俺のオールタイムベストソングです。 映画とかその時読んだ園さんのエッセイの情報とか、こないだのライブの一曲目がこれだったとか色んな情報が混じってのベストだけど、芸術ってそういうものだよね。


映画『地獄でなぜ悪い』予告編

これがなかったら、今の俺はなかったってくらいに大切な映画で、大切な曲。

歌詞のひとつひとつに、彼が病院で感じた苦悩が表れている。

あ、ちなみに彼は今この映画で共演した二階堂ふみさんと付き合ってます。

閑話休題

この世はもとより地獄で、逃げようってすることが本末転倒なんだって教えてくれた歌。

この世はつくりもので、うそばっかで、ひたすら地獄。

でもその中でがんばる人だけが、悲しい記憶に勝つ。

 ニコニコ笑いながらこれを歌う星野源に助けられた人は自分だけじゃないはず。

この世界が地獄だって分かってる人が多いからこそ、この人は今の世の中で人気者なんだと思う。

 

今この時だからこそ、紅白に出るくらい人気が出たんだ。星野源は。


文章

彼は俳優であり、一流の歌手でもありながら、文筆家の一面も持っています。

僕は文章にこそその人の人となりすべてが出ると思っていますが、星野源さんの文章はとっても星野源っぽい。

サービス精神まんてんで、明らかに受けを狙いに来てる。

それでいてあちこちに優しさが散りばめられてる。

彼の文章を読むと、彼の声が聞こえてくるみたい。

 

とても表現力豊かとはいえないけど、確かに素晴らしい文章を書く人だと思います。

とても真似できない。

だってあれは、星野源の書く文章だから。


曲について

僕は音楽については素人ですが、彼の本質はここにあると思ってる。

俳優業も文筆業も、この派生。

一本の星野源っていう幹。

これは音楽だと思う。

彼が思い描いた、考えた、感じた気持ち。

それを一番自然とアウトプットできるのが、音楽なんだと思う。

全然テクニックの話ができないけど、彼が世界各国の音楽からインスパイアされて曲を作ってるのはわかる。

だからいろんな人に刺さるんじゃないかな。

好きな曲はたくさんあるけど、最近一番はまってるのは「くだらないの中に」。

共感を呼び覚ますフレーズと声と、それに歌詞。

まさに星野源の作る曲って感じ。


まとめ

まとまりのない記事になってしまった。

でも星野源の人物像も、良くも悪くもまとまりがないよね。なーんて。

彼が迷いながら苦しみながら、地獄の最中で苦しみながら作る文章も音楽も、演技する役柄も僕は大好きです。

それはそこに、現実で苦しんでいる自分を見るからかも。

そしてそれでいてあっけらかんと明るい彼を見て、見習おうとしているのかも。

なんにせよ一挙一動が見逃せない、星野源なのでした。

マッドマックスで気付きと快感を得よう

マッドマックス怒りのデスロードが面白かったので、久しぶりにほろ酔いでブログを書きます。


映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』予告編 - YouTube

結論から言うと、まあ最高の映画だったんですけど、もっとこう映画ってこうだよなあとか考えました。

僕なんか「趣味は?」とか「休みの日暇なとき何してんの?」とか聞かれたらとりあえず「映画見てる」って当たり障りのないこと言うんですけど、まあこれも嘘じゃないにしても、もっといろいろ、例えば今なら日本語ラップ、とりわけ最近はデブラージ死んだのきっかけにブッダブランドばっか聞いてたり、女流作家の小説読むの好きだったりするんですけど、やっぱこういう時は当たり障りなく映画って言いますな。

ショーシャンクとかアベンジャーズとかの当たり障りないところから、アニメとかマニアックな邦画とか広げようがあるからね。

僕は前々から趣味ってのはそもそもそれを見たり聴いたりやったり触ったりすることで脳が快感を覚えて、その快感の回路が一番自分に適してると思うやり方、自分が一番手っ取り早く気持ちよくなれるやり方こそ自分の決める趣味だと思ってるんですが、この中で映画を趣味にするってのはつまり、映画館のスクリーンなりテレビなりモニターなりで物語のある映像を見てそれで感動するのが一番気持ちいいって表明で。

でもこの映画ってのは幅広くて、中には男と女が終始イチャイチャしてたり、殺人鬼を警察が追っかけたり、いもしないスーパーヒーローが地球を救ってみたりします。

それぞれにファンが居て、でもみんな共通して「映画好き」。

映画の中にも快感に至る道筋が違うってことですね。

ああ、わかりやすいたとえだと感動モノね。「ドラ泣き」なんてのが記憶にあたらしいもので、人は感動して涙をながすとき無条件に気持ちよくなるように出来てます。泣きに映画館に行くなんてポルノ映画見にピンクの映画館行くのと全然変わりませんよね。「泣く」の目当てに映画館に行くなんて下品極まりないですよ。

話題がそれましたが、とにかくまとめると、僕は映画見てそのことで快感を得たいわけです。なるべく泣くの目当てとかじゃない上品なやり方で。泣くならさり気なく泣きたい。

 

で、マッドマックスはそれらの僕の願いを叶えてくれたように思います。

内容の詳細は誰か他の人に聞いてください。今日これから宇多丸が評論するみたいだし。

 

マッドマックスみて僕はとにかくこれが欲しいんだと思った。

現実に生きてたらどう頑張ってもお目にかかれない光景。「いや、それおかしいだろ」の「い」すら聞く気の無いわがままな映像群。謎の爽快感あるストーリー。愛着わいたキャラのカッコいい散り際。変なハッピーエンド。ヒュー!祭りだ!

 

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いやもっと真面目な、練られた脚本と凝った演出の映画ももちろん快感です。最後のどんでん返しはアハ体験的衝撃で大変よろしい。

でも、それでもこの監督を初めスタッフのわがままに完全に観客がついてくしかない種類の映画が好き。映画以外もそうなんですけど、天才の才能に置いてかれないように付いて行きたい。観客なり読者なりを意識した作品はどうしても底が浅い。連れてって欲しいんだなあと今わかりました。つまんない日常に生きてる僕を、ここじゃないとこかに。トリップしたいんです。

マッドマックスはそれをしてくれる、すっごく素敵な映画でした。

見てる2時間くらいの間、間違いなく僕は映画館には居なかった。

かといって映画の中に入り込んでたかっていうとそうじゃなくて、その中間くらいで楽しんでたんじゃないかな。この距離感が良い気がする。

疲れたから終わり

ディズニーはすごい 天才

 

 こんな話題がありました

映画『ベイマックス』に見る秀才たちの限界

これは実は俺も思ってた。ベイマックスはクソ面白い傑作だけど、好きな映画とはちと違う。やっぱり俺の好きな映画って、表面が無骨でゴツゴツしてる。でもベイマックスは、全方位に角が立たないようにツルツル。

2015/01/20 19:46

 

これは俺も大賛成だったんだけど、何か違和感みたいなひっかりもあった。

そしたらすぐ後に出たズイショさんのツッコミにぐうの音も出ない俺であった。

映画『ベイマックス』に見る秀才たちの限界

ディズニーが作ってるのは大量生産大量消費を前提としたカップ麺とかハンバーガーみたいなもんであって、それを相手に割烹料理としてどうなのよって話をしても意味ないんだよね。

2015/01/21 13:06

いや、まったくその通り。

俺のツッコミは本当に見当外れものでした。

ディズニーの企業努力は成功していて、ディズニーは大勢の頭脳を結成した結果万人に受けるものを上手に、狙い通り作った。

結果的に完成した映画「ベイマックス」は世界中どこの人が見ても楽しめる(日本人ならなおさら楽しい)笑いありロボット萌えあり、ロケットパンチ燃えあり、涙あり、そして誰も悪くない、滅すべき悪人も存在しない素敵な映画を作って見せました。もちろん最新技術で見た目華やか。

 

そんな、知恵を結集して工場で作れる限界の味に挑戦したものを食べた感想に、「でもやっぱこの間のシェフが作ったあれは美味しかったなあ…素材もすごくてさあ」みたいなこと言うのはちゃんちゃらおかしい。話が成り立っていない!

 

ディズニーが俺の求めている「話のいびつさ」を無くす努力をしてそれを成功させているんだから叩くのはお門違いでした。そういう歪でクセのあるものが食べたいなら別の店に行けってことだった。

俺ときたら偉そうにマクドナルド店内で「一流シェフのこさえたハンバーグの焼き加減」の話をしてしまった。

 

確かに「天才性」は見てて楽しい。天才が物語とか話運びをぶんぶん振り回す様は爽快です。

でもベイマックスでディズニーが行った試みの数々は、後のアニメを、映画全体を発展させうるのに十分な威力を備えていました。

 

ディズニーは証明しました。天才のもとに集った大勢の秀才の知恵を結集すれば、万人を満足させられる、(いい意味で)角が立たない傑作をこさえることができると。

しかもそこにはちゃんと以前とは違うアイデアとかチャレンジを含んでるし、それらもうまく機能させられると。そんな偉業を成し遂げたんだと改めて気づかされた俺はますますディズニーに頭が上がらなくなりましたとさ。

 

私たちには物語がある

西加奈子さんが直木賞受賞しましたね。
おめでとうございます。すごくうれしいです。
他の候補作を読んでないものの…西加奈子さんの「サラバ!」はすごく素晴らしい作品だったのでどこかで「当然だ!」と思ってしまいます。
俺はこの「サラバ!」を2015年最初に読む小説にしようと発売当初から温存していました。その前に西加奈子作品を出来るだけ多く読んでおいて、この集大成になってるだろう作品に備えようと。
きいろいゾウ」を読み終わったのは12月29日とかだった気がします。
その目論見はあたって、素晴らしい、年明け一発目にふさわしい衝撃的な読書体験が出来ました。

これからも、この本の中にあったように、たくさんの物語を読んで、時に救われながら生きていこうと思います。
そしていずれ、自分の幹となる、「信じるもの」を見つけられたら良いな、と思ってます。
そのきっかけになるかもしれない傑作を世に送り出してくれた西加奈子さんには、やっぱり頭が上がらなくって、感謝もしきれません。

「自分の知識にしよう」とか「頭を良く見せたい」とかみたいな本の読み方はしないで、美味しいものを食べ歩いてるみたいな、そんな幸せに満ちた読書生活を送れたらいいなと、そう目論んでおります。

西加奈子という人の書く作品について

どうにかこうにか、西加奈子著「サラバ!」を直木賞受賞作発表までに読み切ることができました。

素晴らしい作品でしたが、その前に俺が感じていた西加奈子って人について。


西加奈子の作品は、人を肯定する

俺が初めて読んだこの人の作品は文庫版「通天閣」でした。 今思えば通天閣は、西加奈子作品の中に置いてはそれほど華やかな作品ではありません。わいわい近所の人や家族とかかわる物語じゃない。

かといって「舞台」のように一人で苦しむ物語でもない。

本当に人との、自分とのかかわり方がこの人の作品の中において中間に位置している作品です。 これを読んだ印象は、「地味だけど、前向きな話だな」ってくらいでした。西加奈子の作品を読んで「地味」だなんて。でもとりたてすごく印象に残ってはいなかった。 次読んだのはどれだっけ。というかなぜ次の本を手に取ったのかもあいまいです。まあそれがこの人の小説が持つ力とも言えるのかもなんて。

 

あっ、とその前に、俺がこの人に興味を持ったきっかけは、神保町の本屋でのイベントで海猫沢めろんと二人で行った対談がきっかけでした。海猫沢めろんを目当てに向かったそのイベントで初めて目の前に現れた西加奈子は、薄化粧の顔でにこにこ無邪気に笑いながら、関西弁で何やら真剣に、時に笑いを交えながら、それでもやっぱり本音を話していました。「生きる」ということについて。

その語り口に魅力を感じた俺は、そうだ。通天閣を手に取ったのです。

そして後々覚えてるのは「舞台」を読んだとき。 俺の通天閣のイメージとは違う、ネガティブで後ろ向きな主人公が自意識と格闘する様はこの間目にした笑顔で話す西加奈子の印象とはかけ離れたものでした。

「こんなのも書くんだ」 そこからさらにはまっていったと思います。エッセイではあっけらかんと酒を飲みながらふざけて、小説では主に自意識に苦しむ主人公を描いて、そして最後この人の物語全体に共通するクライマックスがあります。

それは主人公や登場人物が行う、世界の「肯定」です。

西加奈子作品の主人公は、自意識や家族とのかかわりに苦しんで苦しんで、そして途中、さまざまな冒険や経験を経て、自分の生き方、姿、容姿、周りの人間、家族を肯定します。

みなが一様に成長するのです。

その成長していくさまは読んでいてすごく身につまされるもので、引っ張られて自分も少し人間的に成長したような気がする、そんな小説を書きます。

読んだ後、「ああ、良いんだ」と思う。いつも。 「俺の今のこの状況も、最悪じゃないんだ。ここに生きてるんだ」って。そんな優しい気持ちにしてくれる小説を書いてくれる人だと思ってます。


そして「サラバ!」

そして西加奈子作家10周年の区切りで出てきたのがこの「サラバ!」です。 主人公はちょっとだけ「舞台」の主人公とも似ている、容姿端麗で自意識に苦しみながら周囲に気を使う男。

そして見逃せないのが、この主人公の出自、イランのテヘランで生まれて、カイロ、大阪そだちという設定が、作者の西加奈子とまったく同じであるということ。

つまり西加奈子は、半ば自叙伝としてこの小説を書いているのです!  必然的に、今までの集大成という位置付けになってしまいますよね。

「サラバ!」ではこの主人公の一生を、生まれ落ちた瞬間から37歳までの人生を丁寧に、こと細かに描きます。なので当然長いです。

でも、この尺はこの物語を語る上で絶対必要な長さだったと思う。この間見た「6歳のボクが、大人になるまで」が長い上映時間だったのと少し似ています。

人の一生を追おうと思ったら、そんな生半可な用意では望んではいけないんだと思います。できれば省いたりしてはいけない。だってそこに生きているんだから。

この物語で主人公の人生を一緒に追っていると、当然いろんな苦しみがあります。西加奈子がいつも掲げるテーマ「家族とのかかわり」での苦労や、友人、恋人、仕事での苦しみ。 そのどれも、人間関係にまつわるものです。

いかに人間は一人では生きていけないかがわかります。 人間関係を受け身で流してきた主人公は、年を重ねていくうえで、容姿が崩れてくるなどの要因で今までのようにスムーズに人間関係が築けなくなることに苦しみます。

そこで初めて、いかに今まで受け身に徹して、逃げに徹していたかを思い知るのです。 この問題を解決する手立てとか、姉からのとても重い言葉とか、終盤再びかわすヤコブとの言葉。

その先に待っているのは、すごく、すごく長い時間はかかったけど、最後にたどりつくのはやはり西加奈子流の「肯定」なのでした。

しかも、今回はその「肯定」の手立てをある仕掛けで読者に託す。 この辺りはもうほとんど西加奈子から読者への直接語り掛けるメッセージです。あとがき兼エピローグ兼メッセージです。

そりゃそうだ。こんなん読めば胸が熱くなるっての。

本当にすごい小説でした。 これは間違いなく俺にとって一生大切な思い出となる小説です。 願わくばこの作品が直木賞を受賞してほしいと思ってます。