けいおんのその後
うーし面白いので俺も
僕はそれでも劇場版「けいおん!」の方が蛇足だと思う - ふわふわスマイル
について書こう。
まず言っときたいのは俺はcollegeもhighschoolも流し読み。知識は引くくらい浅い。
アニメにしかほぼ思い入れはない。
というのも、俺は高校時代のけいおんが大好きってのもあるし、その後はそれこそ蛇足だと思うから。
けいおんって漫画、というよりアニメは今でも根強い「日常系」ってジャンルを確固たるものにしたと思う。
その決め手は「余計なものを語らない」ってことに尽きると思う。
練習しなくたってばっちり演奏できるし、新曲だってばんばん生まれる。
これは「練習」等のシーンが不要だからに他なりやせんな。まあ俺は別に歌とか演奏が下手でも喜んだと思うけど、CDのセルとかの折り合いでこうなったんでしょう。
バンドがちまちま練習してるのなんて見たくないし、見たければBECKでも読んでたらよろしい。
俺はけいおんをアイドルのドキュメントとしてみてたところもあって、「卒業」ってのが一つの終着点、グループでいうところの「解散」になり得たと思ってて、そこでしくしくお別れしたほうが物語として抜群に美しいと思ってる。
そしてそれにも参加できない1学年年下のあずにゃん。美しい!
まあ結局ずるずる4人同じ大学に行くわけですがな。
それもあって、大学での唯達の生活なんて蛇足にしか思えないし面白くもない。それこそ全体的に無駄なんではないか。
映画はどうか、っていうとそっちは安心設計で、また無駄なシーンを排除した完璧な「ぬるま湯」を描いてる。
あんなに騒いでた澪のロック都市としてのロンドン観光はほぼ無かったし。
だって「無駄」だから。やってもさりげなくアビーロードしてたとかすごく地味なやつ。
ちゃんと無理やりライブシーンを見せて、あずにゃんに歌を送るシーンをもう一度やる、っていう。だってそれ以外見たくないから。俺は。
ラストも震えます。足だけのカットで明日からの楽しい日々のことに思いを馳せる終わり。素晴らしい。見たくない明日は見ない、って意志を感じる。
それでいい。それでいいのだ。心理的なもらとりあむを彼女たちが精一杯脇目もふらずに「あーあーきこえなーい」って楽んでる姿こそ愛おしい。
っていうね。見たくない現実は見ない。考えない作品であるけいおんに、未来など不要であるっていう俺の気持ちでした。
って書いてたら、シロクマ氏が
最近のアニメ映画はロールシャッハテストになっていると思う。その人の願望や不安がまさにスクリーンに投影されるんじゃないか。一部の作り手は、そうした投影しやすさを意図的に仕掛けてるんじゃないかと思う事も。 / “おおかみこども嫌いなや…” http://t.co/Ac1wKKcJgc
— p_shirokuma (@twit_shirokuma) 2013, 12月 23
ってツイートしてるのを見て、ああ俺ってつらい未来から目を逸してんのかなとか思って少しブルーになった。
それもあると思う。けいおん部の連中をみながら、「もっと未来のことを考えろよ!」ってことも思えるし、「ああ、その近づいてくる卒業がこわい感じわかるなあ」って変な共感を覚えることもできる。
まああれです。今年公開してたクラウドアトラスって映画みたいに多面的に楽しめる作品こそ傑作なのですね。
話がぶれましたね。あっはっは
俺は女子にはレスポールよりテレキャスターを持って欲しいって本音で、この記事を〆たいと思います。