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自殺の自由

 

これに参加しました。

お二人の話を聞いて、肝心なのは「自由かどうか」ということだとを思いました。

今の世の中は、色んなものに恵まれていて、一見自由に見えるけどその実あまり選択肢がありません。

就職の問題なんてそれが顕著ですね。

 

めろん先生のお友達は「自由になりたい」と言って自殺してしまいました。

じゃあ死ねば自由なのか。友達のKさんは今自由なのか。

 

「生きろ」と言うのは簡単です。

でも、もし身近に「死にたい」と言っている人がいて、止めるのは良いことなのか。自由になる権利を奪う権利が我々にあるのか。

 

別に今考えるとそんなに騒ぐほどじゃなかったとは思いますけど、自分も気分がしんどい時期が一時期ありました。

そういう気分とかっていうのは、目に見えてわかる怪我とか、わかりやすい症状が出る病気と違って人には伝わりません。

理解が広がった現在でも、「甘えてる」みたいな目で見られることもあります。

それは自意識のせいもあるでしょう。そういう時期は自意識も歪みます。

 

「死にたい」という気分はそんなつらい状態から脱したい、という思いがあると思います。この先もこんな気分のまま生きるのは辛すぎる。じゃあ死のう。

そんな思考。

 

そういう気分の時どうしたらいいか。

明確な答えはまだ出ていないと思います。ストレスに対処する方法は個人差もあるだろうし「これだ」というものがありません。

でもなぜ自分がしんどかったか考えてみると「選択肢が少なかった」つまり「不自由」だったからだと思います。

 

消去法の結果としての死。

自殺の動機についてはいろいろあるだろうけど、やっぱりそこには「自由」の問題が必ずあると思っています。

 

なんで就職に失敗して死ぬのか。

選択肢が潰えたから。

金に困るのも同じ。

だから一つの対策として「選択肢を与えてあげる」というのはあると思います。理解しようとしてあげて、選択肢を増やす手伝いをしてあげてください。

 

でもふと考えたんですが、いじめの問題の自殺はややこしいですね。

 これは逃避先の自殺なんだろうか。

 

でもどっちにせよ、死ぬのは迷惑をかけられてるほうで、かけているほうはのうのうと生き延びてます。

優しい人はいつも損な役回り。ストレスを感じやすい人っていうのは、それだけ敏感な人で周りに気のまわる人です。

 

 

もっとゆるく。ゆるく生きていければいいなと思いました。

だって自分より頭のまわらない迷惑な人が楽しく生きてるのは悔しくないじゃないですか。