後ろ向きで憂鬱で、自分大嫌いで、幸せ
初めてゲンロンカフェにお邪魔しました。
開場しています。当日券あります。/海猫沢めろん×斎藤環 「生き延びるための精神分析 ――『頑張って生きるのが嫌な人のための本』発売記念トークイベント」 @uminekozawa @pentaxxx http://t.co/ZsXHbHek2T #genroncafe
— 株式会社ゲンロン (@genroninfo) 2014, 4月 20
めろん先生のこの本についてのトークショーは結局全部言ったのかな?
斉藤環さんも以前から本を読んでて気になってました。ゲンロンカフェ、とっても良い雰囲気ですねー
お酒をちびちび飲みながら、二人のお話を聞きましたよ。日生学園の話などで笑いも起こって、とっても和やかなムードでした。
「自由になりたい」と言って自殺してしまっためろん先生の友達の話を中心に、精神分析的な流れをふまえつつ、気張らずに生きる方法についてお話をされました。
また考えさせられますね。『自由』なんてはっきりと定義されないものを求めて死んでしまったKさん。彼は果たして、自死を選んだ結果自由になったのか。
その不自由さを感じてしまっているのはほかならない自分で、その環境を作っているのも自分。
例えどんなにお金を持っていたとしても、どれだけ名声を得たとしても、不自由さを感じるのは自分です。今の自分さえどうにかすれば、どんなにどん底の状態でも自由になれるはず。死ぬのを選ばなくても。
これは少しアドラーの考えを汲んでいますね。
今の自分をどうにかしたい。でも、斉藤環さんが言っておられたことには、人間が一番嫌なのは今の自分を変えることだと。それをしないための言い訳を考えて、結局変わらない方向に努力するんだと。
少し心当たりがあります。最近読んだ田口ランディさんの「坐禅ガール」もそんな話でした。
「自分を守る鎧を脱ぐのは難しい。でも脱いでみたら、鎧なんて必要ないんだと気が付く」みたいなことが書いてあったと思います。
誰でも自分が一番かわいいです。俺も、自分が嫌いだ嫌いだと言いつつも、奥底では嫌いになれないです。ぐだぐだ考えるのもしょうがないよね…みたいな自分もいる。
でもこれをもっと上手になりたい。
「否認じゃ足りない。認めて、距離をとる」のが大事だとおっしゃっていました。
否認して、自省して、それでも認めてあげる。だって絶対こんな俺にもいいところはあるんですから。じゃないともっともっと孤独でとりとめもなく苦しんでいるはず。
自意識の鎧を脱いで、もっともっと、Kさんが果たすことがかなわなかった『自由な生き方』を目指したいと思います。
言葉を用いて、苦しみも楽しさも幸せも好きも、全部分析して分節化して言語化すればもっともっと認めてあげて、嫌なものと良い物を選んで、分離して共存できる。
かの有名な陰鬱としたお話を書くフランツ・カフカも親友に
「君は君の不幸の中で幸福なのだ」
と言われていた通り、不幸の中で一生陰鬱と生きていくしかないとしても、その中で幸せに生きていくことができれば、それは自由なのかもしれません。
もっともっと今はやりの自己肯定をしてあげて、他人にも承認してもらって、自分でも承認してあげたい。
めそめそ泣いてる平凡で何者にもなれない自分を「大丈夫だよ」って認めてあげたい。
昨日カウンター席で黒ビール飲みながらそんなことを考えました。
もっと他人に迷惑ばかりかける人がのうのうとのさばってるのに、俺が苦しむのは釈然としない!
今日もセブンイレブンのコーヒー片手にがんばります。