読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

定期的に思い出して、観る映画

というものがあります。

誰しもあるのかはわかりませんが、俺にはあります。

 

俺にとってそれはデビッド・フィンチャー監督作、1999年公開の「ファイトクラブ」です。

 


ファイト・クラブ (Fight Club) - YouTube

 

有名っちゃ有名なのか、その筋の好き者には人気な映画です。

映画人が選ぶランキングにはいつもしれっと上位にいたりします。

 

あらすじは、エリートサラリーマンが閉塞感に苛まれてそれをこじらせて不眠症に陥り、医者のすすめでがん患者などの集いに出席することで生の実感を取り戻した"主人公"はその後もいろいろな集いに顔を出して謎の女と出会ったり、飛行機で妙な男に出会ったりするが、その後自宅マンションに帰ると家が何者かに爆破されていて…

 

ってかんじです。

初めてみたのは5年前くらいでしたか。これを気に入る人っていうのは主人公に少なからず共感したり似たような心情を抱えて生きてると思っているので俺は今よりもっと若い頃からそんな感じでやってるんでしょうな。今後もそうでしょう

 

この時代のアメリカってのは、まだ911のテロも起こらず、リーマン・ショックも起こっていない、日本でも関東大震災の予感すら無く。色々あるだろうけど平和っちゃ平和な時代。

 

そんな20世紀終わり。焦燥感と不安と希望に世界中が包まれていた時代だからこそ生まれた映画なのかもしれません。

みな一様にそんな気持ちだったからこそ、主人公には名前がありません。

主人公は観客である、今映画を見てる自分ということです。

 

そして時は流れて2010年代。21世紀の空気にも慣れ、より凄惨なニュースが流れている昨今でさえも、この映画は現代人に刺さるものだと思っています。

現代は刺激的な情報にあふれていて、それに触れるのが簡単な時代です。インターネットの普及であっという間に身の回りは情報に囲まれてしまいました。

本当ならもっと考えるべき事柄も、次つぎ流れてくるニュースに反応するので精一杯で、どんどん無関心になってる。

誰々が死んだ、どの政治家がどうだとか。あの事件の真相は。当事者が語る。暴露もクソも無い。

 

なんかそんなことにモヤモヤしてたのかもしれません。この映画に出会った時。

ちゃんとここにいるって実感が欲しかったのかも。

映画の登場人物たちもそれを求めてファイトクラブでファイトに興じて血だらけになります。

殴ってる時、殴られてる時だけは生きてる実感を感じるから。

 

ものと情報の量が増えすぎた今ではこの映画はまた意味が変わってこの映画は生まれなかったかも。

あのラストシーンは過去との決別にも見える。

この映画は今の時代には撮りえなかったことを思うと、どこかドキュメンタリーみたいな意味すらあります。

同時に普遍的な意味すら感じる。いつの時代にも通じる名セリフもたくさんある。

「職業がなんだ?財産がなんて関係無い。車も関係ない。財布の中身もそのクソッタレなブランドも関係無い。お前らは歌って踊るだけのこの世のクズだ」

SNSとかで取り繕うことが増えた現代こそ響くセリフなのかもしれません。

ラストシーンの解釈にもいろいろ振り幅があるけど、俺は好意的に受け取りたい。開放されたんだと。で、それに心打たれている観客を見て、タイラーダーデンは笑ってる。

 

この映画は過去の鬱屈した思いが生んだ、貴重な記念碑的映画だと思う。

今後も大事にしていきたい映画です。