紙の月をみたよ

忘れないうちに書いとく。

 

最初にいっとくと俺は角田光代の大ファン。好きな作家を聞かれたら即答するくらいファンです。

この人の小説の魅力はなんといっても人間の内面を抉りだすような心情の描写。

これは小説ならではの力で、人間の意思を文字と文字の間に潜ませるような文章は映像化に向いていてないと勝手に決めつけておりました。だから自分はこの人の作品の映像化には手を出してませんでした。ファン故に。

でもあの「桐島部活やめるってよ」の吉田大八監督が「紙の月」の監督を担当すると聞けばさすがに気になります…。

「桐島部活やめるってよ」も俺の大好きな朝井リョウ原作の傑作です。それを映画化した際にも吉田監督は原作の美味しいところを活かしながら、自分なりの演出を凝らして別物(といっていいかも)に仕上げました。

俺は小説の映像化にはこれが無いとつまんないと思ってます。原作に忠実な映画化なんて何の意味も無い。もっと、見てるだけで「ああ、この人はこの原作のこの部分を、この人のこれに焦点を当てたかったんだな。てことはこの監督さんはこういう人なのかな」って想像をかきたてるようなものが映画化の正解だと思ってます。

今年6月公開、俺の大好きな「渇き。」って映画も、原作とは全く違うニュアンスです。原作のバイオレンス描写をもっと映像的にわかりやすく、小説では表せない「音楽」の描写でより尖った若者を表現した。

どっちが良いってことではないけど、それぞれ作者の色が出てて大変好ましい。

 

だからこそ、俺みたいな原作ファンが文句たれる原因にもなるんですけどね。

 

 


さて、「紙の月」ですが、この原作を読んだのは結構前で細部まで覚えてません。個人的には…面白かったけど他の角田作品ほどぐさぐさ来なかったんだろうか。女性性が強すぎたのかも。

でもこれが角田光代を代表する一作なのは間違いない。いつものこの人が描く、と言ってもいいだろう普通の、比較的社会的に恵まれた立場の一般女性が主人公。この人の小説にしては比較的展開の起伏が激しい作品だと思う。

 

原作では、主人公は上品できれいな人、くらいの描写でしたが映画ではなんと宮沢りえさん主演。

とんでもないスターが出てきたものです。

これも意見の別れる所で、角田作品の肝は主人公の、登場人物の実存感。宮沢りえなんて普通の社会においそれと居ねーよ! と思ってしまいますけど、さすが気合の入った演技と吉田監督の巧みな演出でそれをカバーしました。

というのも、俺の印象では制作サイトが宮沢りえの光り輝くスター性を隠す方向にシフトした演出を施すのではなくて、隠し切れないスター性を抑えこむのではなく、抑える演技は彼女に任せてむしろ魅力的に見せようと、「美しい女性」として宮沢りえを撮っているように見えました。

 

だからこそ光太の行動にも説得力が出てくる。そりゃあんな女の人が家にいたら惚れるわな。

 

そして映画は彼女の企みのせいでどんどんドラマチックに。手に汗握る展開が続きます。

 

俺は角田作品の特徴の一つに、「淡々と話が進む」ことがあると思っています。「紙の月」はその中でもスリリングな話運びな話ですが、他の作品では何も起こらないことも結構ある。起こってもささいなもの。そのささやかな話のなかにおいて、登場人物が思い描いたことをこっちが読んで打ちひしがれる、というのが角田作品の正しい楽しみ方です。

 

でもそれじゃあ映画としてはダメ!

吉田監督はその原作を、オリジナルキャラとオリジナルの展開を用意して、観客にハラハラさせる仕掛けを多数用意してくれました。

 

詳しくは言いませんが、色々あったラストのシーン。

梨花は原作ではあそこまで派手な行動に出ません。でも確かに、原作には「いますぐすべてを捨ててここから逃げたい」的な心理描写があったと思う。

吉田監督はそこに「そうすればいいのに」と思ったんでしょう。だからこそのラストの展開だと思う。原作の梨花は、もっと落ち着いて周囲の人、光太などに語りかけたりしながら行動します。

 

ここの行動の別れ方に吉田大八、角田光代の人間性が出てると思います。

どちらが好みなのかも、その作品に触れる人の人間性が出ますよね。よりドラマチックに、映画的なエンターテイメントに満ちた「紙の月」も、角田作品特有の会話と心情描写巧みな「紙の月」も、どっちも傑作です。

 

個人的なハードルが上がってた映画だけど、ちゃんと面白くてよかった。