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刺激がほしい

だらだらツイートするのをやめてこっちで書いてみる。

 

今日昼休みにスターバックスで話した人が「刺激が欲しいからそういう小説ばっかり読んでる」って言ってました。

その人ははたから見ると、社会的にもある程度の地位で認められてて、きっと毎月の給料もそこそこあるだろうって人。しかも学生結婚を果たしてて小さい娘と息子にも恵まれてるって典型的な「勝ち組」歳もそこまで俺と離れてない。

 

その人曰く、「俺の読みたい話は、日常の中で多少の事件が起こって欲しい。そしてできれば少しのどんでん返しも欲しい」と言ってた。

これって要するに自分の願望なんじゃないかなと。自分の生活基盤は派手に壊したくない。でも少しの刺激が欲しい。そしてできれば、あっと驚くような結末も見たい。

そうしてそのすべてを、すべての願いをフィクションに預けてる。

結婚して満ち足りて何も不満のない生活に満足してて、でもどこかで退屈さを感じてる。そんな仄かな閉塞感に対する対策がフィクションの中の登場人物に思いを馳せることだったっていう…。大げさかもだけど。

その人は語り部がころころ変わる連作短編が好きで、いろんな生活を覗き見るのが好きだと言っていた。

きっと「ここじゃないどこか」にいる自分を想像してるのかな、とか思った。俺もよくそれを考えるから。

フィクション、っていうか人間の想像力ってすごいと思う。

だってちっぽけな人間のさらにちっぽけな頭のなかに人間がいっぱい住んでて、お互いにいがみ合ったり仲直りしたり愛しあったりできる。それってすごいことだ。

人一人の中にたくさんの人がいて…それぞれの人生があって…そもそも宿主にも云十年って人生があって…って考えると朝のアキバ駅のホームとか見てて頭クラクラする。のと同時に何か快感みたいなものを覚える。俺はたかだかこの中のなんでもない一人で、あの兄ちゃんにとって俺は席に座ってる乗客に過ぎなくて、ほんとなんでもない人間なんだなって。どうしようもなく凡人なんだって。

そんな積み重ねで社会ができてるんだな…と思うと何か安心みたいなものを感じて、そして心のどこかで、もどかしさも覚える。

このもどかしさこそ、「刺激が欲しい」って途方も入り口も出口も用意されてない意味のない欲求だ。刺激が身に迫ったら迫ったであたふたして、でもそれにもいつか慣れて、飽きて、また小鳥みたいに刺激を求めて口をパッカリ開けるみたいな生活を続けてくんだろうな。

 

みんなみんな、ファイト・クラブの主人公で、心の何処かでタイラー・ダーデンを心待ちにしてるんだ。

 

なんの目的も決めずに書いてみました。