肯定するってことが「おとな」ってこと

今週のお題「おとな」

 

俺は今まで大人になるってことは、「我慢する」ってことだと思ってました。

大人は子供より圧倒的にできなくなること、2度と手に入らなくなるものの数が多い。大人になるってのはその子供が持ち得た権利を手放すことによってなるものだと、そう思ってました。

 

でも最近どうやら違うなと思い始めた。

だって我慢するのがおとなになることなら、子供時代が過ぎた後には苦痛しか無い、ずっと辛いだけってことになる。

そんなのおかしい。だって圧倒的に大人時代の方が長いんだし、大人の世界の方も若者とは違う光を放ってる。

 

俺は最近、おとなになるってことは「肯定する」ってことだと思い始めました。あるいは「受け入れる」ってこと。

若い頃は、周囲すべてが疎ましくって、腹立たしい。自分以外がすべて間違ってるように見えて、なんでこんな……って思うことばかり。

見える範囲だけでも、世の中は確かに間違ってるように見えることが多くって、理不尽なことを言われることもあるし、度々自分でも言ってしまうことすらある。嘘ばっかりだし、自分が嘘をつっことも多い。嫌気がさすこともしばしば。

でも、そんな嫌気すらさしてくる相手の言葉、発言、ものの見方を「受け入れる」ということ。受け入れて、自分の中に落としこむということ。これが、大人になるってことかもしれないなって。

年月が流れて経験も積んで出会いの幅も広がれば、視界も開けてくる。間違ってるのは自分のほうだと気づき始める。今まで許せなかった人も、事柄も許せるようになってくる。考え方を「間違ってる」って否定するんじゃなくて、「こういう考え方もあるんだな」って肯定できるようになってくる。

きっとどこかの段階で、世界を自分の器の中に落としこむことができるようになるんだと思う。それも「器の大きさ」とやらに関係してくることなんじゃないかと思いました。

俺は出来てないけど。

 

そのためにはもっといろんな間違った、あるいは正しい考えに触れて、記憶のアーカイブを広げていく必要があるし、それは一人じゃ限界もある。でも一人じゃないとできないプロセスも多いだろうからそこがいい塩梅で。

 

あと単純に大人になると経済的に手に入る物も増える!

大人にしか手に入らないものもあるし、行けるところも入れる店も増えるように思う。

手に入れたもの、赴いた先の風景を「受け入れる」のも大人の思考の範疇なのかもね。

 

俺はまだまだ全然ガキンチョな頭だけどね。でも今なら思える「早く大人になりたい」ってな!