ポケモンGOをやってる場合じゃない Netflixで「火花」をみよう

久々にお題ではてなブログ書きます。

火花の感想って言っても俺、3話くらいしか見てないんだけど。 俺の最初の感想としては、「思ったより高級感があるな」って思った。 俺てっきり山下敦弘の映画みたいな、だらだらモラトリアム消化ものみたいにするの想像してたから。 だから変に肩透かしくらった。でもよく考えたら、火花の実写化としては、これで良いのかなともだんだん思ってきた。3話しか見てないけど。


火花って純文学だった

そうなんだった。火花って、芥川賞受賞した、れっきとした純文学なのだった。 やってることは売れない芸人の珍道中でも、描写は高級であるべきなのだった。

風景描写も、心情描写も、これで正解なのかもしれないなーと思ったところで3話まで見た。これからももしかしたら見るかもしれない。 でも最初に感じた違和感を拭えずにもう二度とみないのかもしれない。

だとしてもそれは縁がなかったってことだ。 金かけてるかはともかく、キャスト凝ってるし、手間をかけてるのは伝わる、いいドラマだと思う。


何者にもなれない苦しみ

その後の展開知ってるけど、途中までの火花って映像化すると割と陳腐な話になるのかなと思った。

やっぱり視覚化されると一気に面白みが無くなるものってある。 でもやっぱりどんな形でも、「何者でもない自分」に苦しんでる人間を見るのは楽しい。 これってきっと、安い共感を感じるからだ。

もがいて、どうすればいいのかわからなくて、他人と自分を比べて、ちょっと下の人見て安心したりして、たまに偉そうにしたりして、モラトリアムにいる心地よさ感じたりして、結局自己嫌悪から抜け出せない。 そんなふうにもがいてる若者見るのは、楽しい。

まさに山下敦弘もらとりあむタマ子って映画を思い出した。


映画『もらとりあむタマ子』予告編

モラトリアムの中でもがくのは、後の人生どころか、近々の生活の中で、特に会話で活きてくると思うけどどうだろう。

芸人って大変だなって思った

「笑い」を追求って大変だなって思った。

だって明確なゴールがない。 人を瞬間的に笑わせるのって芸人のゴールじゃない。きっと芸人は生活の中に入り込むような笑いが欲しいはずだ。

科学的に「笑い」は解明できていない。 最近読んだ本で、笑いは「思考の限界に突き当たった時起こる」と書いてあった。 考え至らないことを言われた時、思考の先の出来事を見た時、人は笑ってしまうということだった。

なるほどそうかもしれない。俺はホラー映画が好きだが、怖いシーンでよく笑ってしまうのはこういうことだろう。

ホラー映画か怪しいが、最近みた「クリーピー」で隣の娘が「あの人お父さんじゃない」って言う例のシーンでも笑ってしまった。怖い。不気味すぎる。笑うしかない。

つまり芸人は、いかに人の考え至らないところに至るか。 テレビ見てる人なりと知能勝負をしてるわけだ。今の視聴者は目が肥えており、簡単なところでは考えが先回りして思考の果てには至らない。だからすぐ「つまらない」という。 芸人は、特に漫才師は、少ない道具で考えの先を行こうとする難しい商売だ。

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がんばれ芸人、とかその他表現者

あまねく人は表現活動をしながら生きてると思うけど、芸人はその際たるものかもしれない。

「笑い」のために無駄を削いで、自分を切り売りして。

生きるってことはそもそも表現するってことだ。とか言うと安っぽくなりますね。でも 映画見て「あの映画おもしろかったね」って言うのだってれっきとした、自分にしかできない表現活動だ。

だから面白いんだと思う。なんか色々。 終わり

Netflix火花お題「ドラマ火花の感想」

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