アイ・アム・サムを見た俺の感想

アイ・アム・サム」という映画。俺が小学生だか中学生なりたてだかの時日本公開された映画で、ショーン・ペンの演技で話題になったこともあって覚えてる。

そこから10年以上見る機会に恵まれなかった。

でも、とあるすごく親しかった人の生涯ナンバーワン映画と聞いていた。見なきゃなと思ったきり、その時は見なかった。理由はわからない。すすめられた映画はすぐに見る俺にしては珍しい。

その後、別の人と親しくなった。その人の好きな映画もアイ・アム・サムだった。今度こそ見ようと思った。今見る運命なのかなと思った。

 

で、見た。

あらすじ


映画「アイ・アム・サム」日本版劇場予告1

知的障害のために7歳の知能しか持たない父親サムは、スターバックスで働きながら一人で愛娘ルーシーを育てていた。母親はルーシーを生むとすぐに姿を消してしまったが、二人は理解ある人々に囲まれ幸せに暮らしている。しかし、ルーシーが7歳になる頃にはその知能は父親を超えようとしていた。そんなある日、サムは家庭訪問に来たソーシャルワーカーによって養育能力なしと判断され、ルーシーを奪われてしまう。どうしてもルーシーを取り戻したいサムは、敏腕で知られる女性弁護士リタのもとを訪ねるが、サムにリタを雇うお金などあるわけもなくあっさり断られてしまう……。

すごくいい映画だと思った。それは間違いない。ショーン・ペンの演技は怪演って言っていいレベルだし、ダコタ・ファニングはかわいい。細部まで行き届いた監督と脚本の熱意も感じる。

俺は嫌いな映画だった

でもはっきり言って、俺は嫌いな映画だった。

なんでかって言うと、俺がアイ・アム・サムに感じた感想が、俺の映画に求めるものから反れてるからだ。

改めてわかったのは、俺は映画を現実逃避するための道具とか、トリップするためのツールとして見てたってこと。

アイ・アム・サムに感じたのは、結局現実の生き辛さだけだった。

みんなはどうなのか知らないけど俺は自分の視点を、主人公のサムに重ねていた。サムが感じてたのは、ひたすら自分の意見が通じないもどかしさと、周りの人の言葉が理解できない息苦しさ。こんなの俺じゃなくても感じてることじゃないのか。

サムは周りに愛されながら、周囲の助けを得つつ、最終的に目的を果たす。

一見完璧によく出来た話だ。

生き辛さを再確認するために映画を見てるわけじゃない

この映画から何を得られた人が、この映画を好きになるのだろう。こんど聞いてみようと思う。

俺は映画を見て、「ああ、なんとかすれば、この世でもやっていく術があるのだな」って思いたいのだった。「なんとか健気に前向きにがんばれば、他人が足りない能力を補填してくれるよ」ではない。

そんなのあまりにも救いが無い。どうすればもってない奴でもこの世を渡っていけるかが知りたいのだ。他人の助けをアテに生きるわけにもいかない。

アイ・アム・サムはいい映画

とってつけたみたいに言うけど、結局この映画はいい映画だと思った。

基本どんな映画でも「楽しい」で処理できる俺をこんな気分にさせるんだから、待ちがいなくフックのある映画なんだと思う。見る価値もあると思う。

好き嫌いにはその人の人間性が色濃く出る。映画でもなんでも。人でも。

俺が基本的に救いのない映画が好きなのも、「ああこの世はやっぱり救いがないな」って思ってニンマリするからかもしれないし。

自分を知るには映画をみればいい。