「運がいい」ということ

人は古来より、「運気」「運勢」で人生を左右されてきた。

昔は占い師は現在より重要な立ち位置で存在してたし、現在も街中至る所に占い師はいる。俺も大阪に旅行したら絶対占ってもらう占い師がいたりする。

そして今でも、私たちは生活の中で「今日は運がいい」だとか「最近ツイてない」だとか言う。

この運気、実際にはあるものだろうか?

俺は、「ある」と思う。

とはいえ、運気と言っても、天気のように絶対的で超常的なものでもないと思っている。

その時の「運気」は、時期と、それ以前の行動と、その先の出来事、すべてが加味されて出来るものだと思っている。

良い運気に恵まれるためには、それ以前に「運がよくなるに相応しい」身分である必要がある。

これは仏教と少し似ている。

仏教ブッダの教えによると、「貧している人がなぜ貧してるかというと、与えてないから」ということだ。お坊さんがお布施を集める際も、貧乏な人の家を中心に回るそうだ。そうして、貧しい人も神に捧げることで、相応の恵みを得ることができるからだ。

これと同じだ。

いい運に恵まれるには、自分の能力をフルに活用して、世間に何らかを差し出さないといけない。

何もしないでなんでも手に入る人もいるだろうが、それは生まれながらにして、世界に愛されてる人とかそんなんだろう。普通何か自分のほしいものを手に入れるには、最大限もがいて苦しんで、手に入れるための努力をしなくてはならないものだ。

俺は実感として、ここ数年「運がいい」と思っている。

でもそれは、その生活を送るのと同時に何か世間に自分を差し出して来たからだと思ってるし、その分だけもらって然るべきだと思っている。なんのことはない。ギブアンドテイクだ。

ふと思った。

宝くじ5億円当てるためには、どれだけ自分を差し出せばいいのか。

想像もつかないものだ。